ほんの数年前まで「私なんか・・・」とネガティブな考えでいる事が普通だった私。
そんな後ろ向きな気質に変化を起こすことを知らなかった私。
理想の暮らし、生き方、職業などに憧れることは大いにあったが、行動を起こすことを知らない私は妄想だけで終わっていた。
基本自分に自信のない子供で「(成功者は)別世界の人」「夢はみるもん」と本気で感じていた。
何かしら結果を出している人は特別な才能を持っているからだと思っていた。
と、この文章を入力しているだけでも負のオーラが満載ですごい暗い気持ちになるが(^^;
現在の私はと言えばプロフィールページにもあるようにアラフォーながら「絵で仕事をする、成功する」と決意し無謀な道を歩み始めている
冒頭にも記したように狭い視野ゆえ絵で仕事をすると決意し行動するまでが長かった。
画家は免許が要らないから公言しなくとも絵を描く活動をスタートさえしてしまえばもう画家と言えるのに、
そんな恐れ多い事は年中ネガティブキャンペーン中の私には到底できない行動だった。
画家になるなら美大に行くもんだと思ってたし、独学で練習してもプロみたいに描けないし、絵が上手な人は世の中に沢山いるし(何なら同じクラスのあの子の方が私より何倍も絵が上手だし)・・・という具合にできない理由が自然とポンポン出てくる性格。
「せーので」公言し画家活動を始めてしまえば良かった事なのに・・・
40歳手前になりようやく決意はしたもののシンプルにはいかなかった。踏み出すには色々な感情と戦っていた気がする。
その感情との戦いが自分に変化をもたらせない足かせとなっていた。
そう、何故だか勝手に自分に足かせをつけ動けない、できないともがいていた
最近よく耳にする「心のブレーキ」とでも言える症状に陥っていた
その足かせを付けてしまったタイミングは分からない
気付けばもう付いてしまってたのである
そしてその足かせ、ブレーキの内容は他人にしてみればすごく小さなことだったりす。
活躍されてるイラストレーターさんは「子供の頃から絵が好きで絵の仕事をするもんだと思っていた」とSNSで記されてました
そういう事を耳にすると「やっぱそうだよなぁ、才能がある人は違うな〜いいなぁ」と思う
そのイラストレーターは生まれながらにして絵が上手かったはずがない
きっとどう描けば表現できるのかを繰り返し、繰り返し描き続けてきたはずだ(好きな事だからそれは苦ではなかったと思うが)
そんな事を考えもせず人の才能を羨んでるばかりいてそのままいい年の大人になってしまった私
こうなってしまったのは、思考の不足と視野の狭さ、そして遠慮なしの貪欲さ不足だと考える
思考の不足とは、夢を現実化してきた人が夢を叶えるためにどんな行動をしてきたか考えようともしなかった事
視野の狭さは、生きてればなんとなく経験する事柄が世の中の全部だと疑いもなく感じてしまっていた事
遠慮なしの貪欲さ不足とは、文字通りで、何かに遠慮した生き方をしていた事、夢中になりたい事に夢中になる事がいけない事という感覚もあった。やりたい事は欲望のままに取りかかれば良かったのだ。基本的に人に迷惑がかかることではないだろうに。
そんな未熟な頃の私に今の私が何か伝えられるとしたら何を言うか
それは「その好きという気持ち、楽しいという気持ちを大事にして、大丈夫だよ」かな
遠慮して生きるのは性格なのか時代背景があるのか、また別のブログで書こう。